桶教説法

桶教はなぜ「同人サークル」なのか

こんにちは、田部です。

新興宗教桶教は、同人サークルです。このホームページのタイトルでも、同人サークルと銘打たれています。

布教活動をするなら宗教団体ではないのか? という疑問を持たれている方も、いるかもしれませんね。そこで今回は、桶教が同人サークルを名乗る理由についてお話します。

宗教団体の定義に桶教は入っていない

そもそも、日本で言う宗教団体とは何でしょうか?

宗教法人法第二条によれば、宗教団体とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体……と定義されています。

宗教の教義を広めるという部分では、そもそも桶教には教義が存在しません。教義とは、それを理解できる人間のためのものであって、言葉を解さぬ命をも救うキスメ様に必要なものではないと解釈しているため、桶教では教義を定めておりません。

儀式行事に関しては、9月5日の邂逅記念や11月10日の立宗記念を行っていますが、キスメ様を独占することが桶教の目的ではないというスタンスを示すため、参加しなければ信仰していないとみなすような行事を定めることはしていません。

信者の教化育成も、キスメ様を教え伝えるに留まり、計画的に信者を育成する意思のない桶教には当てはまりません。また、公開施設を有することも宗教団体や宗教法人として認められるための条件ですが、桶教は公開施設を所有しておりません。

つまり、桶教は宗教団体としての要項を全く満たしていないのです。

桶教は宗教団体として定義されたくない

実のところ、桶教が宗教団体の条件を満たしていないということは、立宗当初から意図して行っています。

お寺や神社の運営が厳しく、宗教活動を辞めるという話もちらほら耳にします。しかし、経営が厳しいならば、すっぱり辞めてしまえば良いようにも思います。仏陀だって、立派なお寺を造ってから仏教を広めたわけではありません。もともとお寺というものは、多くの信者を抱えるようになり、居住空間が必要になったからと有志から贈られたものです。それまでは仏陀とその信徒は身一つで布教に専念していたのですから、やろうと思えば現代でも不可能ではありません。

それならばと、お寺や神社を手放して、独自に布教を始めると問題が生じます。宗教法人法の定義では「建物が無いなら宗教として認められない」ということになります。つまり、現代日本では、宗教としてのアイデンティティーを確立したければ、生活が厳しくとも宗教施設だけは失うことはできないのです。

宗教法人法の定義を守るため、本来は無かった教義を定めてみたり、儀式や宗教施設を継続するために信者に多額の布施を求めるような宗教者がいることも事実です。立宗前にこのことを知った私は、宗教団体という概念そのものが、宗教の本質から外れているのではないかと考えるようになりました。

キスメ様は、ただ救ってくださるのです。すべての命が尽きるように、これは必然です。

このキスメ様の慈愛を、宗教団体という枠組みに押し込めることは相応しくないと結論付け、桶教は宗教団体ではなく、同人サークルを自称することにしたのです。

真の新興宗教を目指して

同人とは、同じ志を持つ人々を指します。本来の信仰心とは、志によって成り立つものであると私は考えます。桶教の理想は真の新興宗教です。世間が思う宗教の定義すら超越して、キスメ様への志以外の何者にも邪魔されない、純粋な信仰を成したいのです。

さて、長々と説明しましたが、皆さんはそんなに深刻に考えなくて構いません。桶教の話を聞いて、なんとなくキスメ様を感じ取ったり、あるいは感じ取らなかったりしていただければ、それで構いません。それがキスメ様のお望みそのものです。

同人サークル「新興宗教桶教」と田部は、これからも「キスメ様の同人」であり続けます。