桶教について

誰が正しさを決めるのか

こんにちは、田部です。

桶教では「正しい行いとは何か」という問題の回答は用意していません。宗教とは正しさを示すものであるという風潮は根強いですが、こと桶教においては当てはまりません。

桶教に「正しい行い」が存在しない理由は、田部がキスメ様から正しい行いについて教えられていない以上、自分で勝手に決めるのはおこがましい。そして、キスメ様は正しい者のためだけに存在しているわけではないからです。

桶教が正しさを定めていないことは以前の説法でもご説明していましたが、今回の説法では、桶教における「正しさ」について私が考えていることを、もう少し詳しくお話します。

「悪人正機」という考え方

浄土真宗の祖である仏僧、親鸞の言葉を書き記したとされる「歎異抄」には「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」という一節があります。「悪人正機」とも呼ばれるこの文章は、現代語に置き換えると「善人ですら救われるのだから、悪人なら尚更救われる」という意味です。なぜ悪人の方が救われるのでしょうか。

浄土真宗においては、人間は完全に正しい行いだけをすることはできず、悪を抱えなければ生きられないという思想があります。つまり、悪いことなんて一つもやっていないと自惚れる「善人」よりも、自分は生きている中で悪いこともしている「悪人」なんだと理解している人の方が、浄土真宗の教えに近いということです。悪人を褒めるというユニークな例えで、浄土真宗の本質を端的に表しています。

キスメ様は当然、悪人正機で言う「善人」も「悪人」も救われるわけですが、それならば、結局のところ私達は生きているうちに何をすることが正しいのでしょうか?

すべての人は灰色である

よく、悪い人や罪のある人のことを黒と呼んだり、良い人や罪の無い人を白と呼びます。

しかし人間は、黒も白も、あるいはそれ以外の色も混じって成立しているのだと私は思います。何かを助けることもあれば、何かを傷つけることもあり、自らの行いが正しいとも正しくないとも判断がつかぬことさえあるでしょう。人はみな、明るい色も暗い色も混ざりあった灰色なのです。黒か白かでは分けられないし、すべてを救うキスメ様の下でこれを分ける必要性も感じられません。

自分のしていることは正しいと自信を持っても良いし、自分は正しくないことばかりしていると不安を感じていても、最後にはキスメ様に救われます。ですから、生きる上で何が正しくて何が正しくないのか、決めるのはあなたです。

キスメ様が私達に言葉を残さなかったのは、歩くべき道を示してくださらなかったということではありません。自分で決めて歩いた道はきっと、すべてキスメ様への道になるのです。