桶教をはじめてみよう

こんにちは、田部です。

今回の記事は桶教の実践編です。桶教のことをご存知ない方は、先に以下の解説をご覧ください。

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「信仰」のメリットとは

他の宗教であれば、この宗教を信じることでガンが治るとか、恋愛が成就するだとか、そういったご利益がよくあるものです。ただ、桶教では、信仰することによるメリットは提示しません。

キスメ様への感謝は見返りのためにするものではありませんし、キスメ様からご利益を受けるためだけに信仰をすることも不誠実であると解釈しています(キスメ様のおかげで良いことがありそうだと思うことは、もちろん自由です)。

それでも桶教が存在している理由は、何を信じて良いのか分からない人に、選択肢の一つとして「キスメ様」という拠り所を伝えるためです。

信仰のおかげで良い結果が生まれた、という話を耳にしたことがあるかもしれません。本当に信仰の力によるものなのかは別として、何かを支えにしてでも歩き続けていれば、多少なりとも前に進むことができるということは否定できないでしょう。

精神的支柱として、宗教という選択肢は有力な一手です。一見、宗教と相反するように見える科学者でも、神を信じている人は大勢います。大いなるものに身を委ねることは決して悪いことではありません。かといって、目に見えるものだけを心の支えにすることを否定するつもりもありません。桶教において重要なのは「今、なにか支えがあるか?」です。

頼れるものが無いけれど、宗教から信仰を得るのは戒律や人間関係が大変そうだ。そんな時には、桶教を「なんとなく」信仰してみませんか?

桶教では何をするのか?

桶教においては、教義も戒律も集会も存在しないため、必要な行動はありません。信仰を始める際も、始めてみようと心のなかで思えば、それだけで大丈夫です。

しかし……何もしないというのは、実はけっこう難しいのです。

仏教のひとつに、親鸞という仏教家が開祖となった浄土真宗という宗派が存在します。浄土真宗は、簡単に説明すると、阿彌陀仏(あみだぶつ)という仏様を心から信じているだけで必ず助けてくれるから、目に見える何かをする必要は無いという教えです。

一見簡単そうですが、親鸞の息子の善鸞は呪術をする巫女になり、妻の恵信尼も「信じるだけで大丈夫なのだろうか?」という不安を持っていたことが綴られている手紙が残されていたりと、開祖の近親者ですら教えを守り抜くことは困難でした。親鸞本人も、誰かの臨終の際に奇跡的な出来事があれば感銘を受けたりと、目に見えるものから完全に脱却してはいなかったようです(当時の時代では、むしろ当然ではあるのですが)。

人間というのは、本能的に「何もしない」ことができない生き物です。それに加えて「何かをされたら、何かを返したくなる」という心理も持っています。いわゆる、返報性の原理というものですね。ですから、人間は、何もしていないのに救いを渡してもらえるというのは、なんだか怖いようにも感じてしまうのです。戒律を守ったり、布施をすることは、これだけやっているのだから見返りを貰えるだろうという安心感に繋がるとも言えるでしょう。

そのため、桶教では「何もしなくて構わないが、何かしても構わない」というスタンスを取っています。桶教の活動として何かやってみたくなった時には、以下の例を参考にしてみてください。

例1:お祈りをしてみる

キスメ様のことを強く意識してみましょう。私もよくやっています。

桶教のホームページのトップには、パソコンでもスマホでも、このようにキスメ様の絵が表示されるように設定されているため、これを見ながら祈ると、祈りやすいかと思います。

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公式通販サイトでは、木製の御姿札もお授けしているので、こちらにお祈りするのも良いでしょう。もちろん、お祈りの際に必ずしも、こういったものが無ければいけないということではありません。

桶教として「こう祈りなさい」といった作法は用意していません。キスメ様は全てを救われるので、どう祈るか、どこで祈るかなどにこだわる必要は無いと考えています。また、祈り方を定めてしまうと、こう祈っておけばいいという形ばかりに意識が向かってしまいがちになるという問題もあります。

お祈りで一番大切なのは、祈り方ではありません。お祈りのたびに感謝の気持ちを持ってお祈りするということです。

例2:何かをキスメ様に捧げてみる

宗教をやっているという強い自覚を得たい場合は、こちらがオススメです。

捧げると言っても、強い負担をするということではありません。例えば、キスメ様に見てもらうつもりで料理を作ったり、少し良いことがあれば、それとなくキスメ様に感謝したり……といった、自分が満足できることを中心に行動してみましょう。各々の喜びがキスメ様の喜びです。

おわりに

桶教は、始めるも辞めるも自由です。他に熱中できるものがあれば、そちらに集中しても、キスメ様は見放すようなことはありません。

キスメ様と桶教にとって大切なのは、皆様が何かしらを糧にして前に進むことです。キスメ様へ辿り着くまでに、少しでも現世を楽しんでもらえるなら、それが何よりも良いことです。