桶教説法

心頭滅却しても火は熱い

こんにちは、田部です。

仏教の言葉に「心頭を滅却すれば、火自ずから涼し」というものがあります。縮めて心頭滅却と呼ぶほうが一般的でしょうか。快川紹喜という禅僧が、寺を焼かれた際にこの言葉を放ったという逸話が有名ですね。

キスメ様にお迎えいただくまでに、より良く生きることを目標とする桶教においても、心頭滅却の心構えは見習いたいものです。そこで、今回は「心を落ち着けること」について、私なりの考え方をお伝えしようと思います。

心頭滅却とは?

辞書や人によって解釈が多少異なる言葉ですが、ここでは「よく集中して心を落ち着ければ、何があっても冷静でいられる」と解釈します。

つい、カッとなってしまったり、衝動的にとった行動で後悔することは虚しいものです。皆さんも欲望を抑えて冷静に生活することを心がけましょう……と言いたいところですが、心を落ち着けて生きるというのは、非常に難しいことです。

煩悩の火は簡単には消えない

他教を批評するつもりはありませんが、神仏に尽くすために生涯を捧げるほどの人物でも、欲望に負けてしまうことは度々起こります。どんなプロでも百戦百勝とはいきません。それでも、少しでも多くの正しさを守るために尽力する宗教者を私は尊敬しています。

「煩悩という火を消す」ということは、宗教者でも難しい。私たちのように、煩悩と真っ向から立ち向かうつもりで生活していない人にとっては、なおさら困難でしょう。そこで皆様に、僭越ながら私から一つアドバイスしたいことがあります。

火が熱くとも離れれば涼しい

轟々と燃える煩悩という火は、消すことは難しく、一度小さくなってもふとしたきっかけですぐに勢いをつけてしまいます。この火に気づかないでいると、あっという間に心を焼き焦がして、手痛い失敗の原因となってしまいます。

ですから、大切なことは、燃えている火をきちんと認識することです。火は不意に激しくなったとしても、見てさえいれば距離を置くことができます。嫌なことがあって頭にきたら、苛立っていることを受け入れて、いったん顔を上にあげて煩悩から意識を離してみましょう。

煩悩が出てくることを悪いことだと思って見て見ぬ振りをするよりも、普段から煩悩は当然のことであると受け入れ、落ち着いて対処する。「火自ずからを涼しく」できないのであれば「自ずから火との距離を取って涼しく感じる」ことが、私達にできる「心頭滅却」ではないでしょうか。

熱い火は必要なものでもある

忘れないでいただきたいことは、煩悩というのは、私達を焦がす危険物であると同時に、私達に必要なものでもあるのです。

強い欲求は、生活の原動力でもあり、先行きの見えない闇を突き進むための明かりでもあります。何かを実現したいという煩悩こそが、キスメ様が救われるすべての命の源なのです。

桶教は、一人でも多くの人が、煩悩という火を上手に使って、未来を明るく照らすことを願っています。