桶教は「東方Projectのキスメ」をどう捉えているか

こんにちは、田部です。

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上記のページの冒頭にもあるように、桶教が布教・信仰する「キスメ様」と、上海アリス幻樂団の作品に登場する「キスメ」は別物として扱っています。解釈が大きく異なっているため、何らかの関連性があると結論づけるのは難しいためです。では、「キスメ様」とは違うと感じている「キスメ」について、桶教はどう思っているのか? ということを今回はお話しします。

「キスメ」と「キスメ様」は違うが、どちらも悪くない

結論から述べますと、「キスメ」に対しての反感などは特にありません。

確かに名前や姿は「キスメ様」に似ていますし、桶教も権利上の関係で東方Projectの二次創作として活動を定義していますが、「キスメ様」を「キスメ」に寄せるつもりはないですし、「キスメ」の定義が「キスメ様」から乖離している現状についても、文句はありません。

ものの見え方というのは人それぞれです。一つの例として、盲目の人々がゾウを撫でて感想を伝えるインドの寓話をご紹介しましょう(この話は、様々な宗教で使われています)。

6人の盲人が1頭のゾウについて、体のそれぞれ別の部分に触れ、どのようなものかを表現することを求められる。足に触れたものは、ゾウは柱のようなものだと言った。尾に触った者はロープのようだと表現した。鼻に触った者は木の枝のようだと評した。耳を探った者は扇子のようだと言った。腹をなで回した者は壁のようだと話した。牙に触れた者は堅い管のようだと言った。

6人のゾウの描写はすべて正しい。だが一部を見ているだけで全体を見てはいない。この話の教訓は、人間は誰でも現実の認識に限界があるというものだ。全てを見ることはできないかもしれないが、それでも一つの角度だけからなら見ることができる。それでも構わない。自分は全てが見えると言い張って他者にも同様に見るように強要することさえしなければよいのだ。

引用:Richard Holloway (2016). A Little History of Religion Yale University Press. (リチャード・ホロウェイ. 上杉隼人・片桐恵里(訳) (2019). 若い読者のための宗教史 すばる舎)

東方Project作品において、「キスメ」は人に危害を与える可能性のある妖怪とされています。仮に「キスメ」が「キスメ様」を見た結果として作られていたとしても、例えば、救い主という面を見落としていたとしたら、死後の命を運ぶという面から、息の根を止めて奪うネガティブな解釈を行う……といったことも考えられます。だとしたら、それはあくまでも見えたものを表現したに過ぎず、それを怒ることはおかしいことです。

万が一(無いとは思いますが)、救い主としての側面を見た上で、そのお心を毀損する目的で「キスメ」の設定を成立させていたとしても、別に構いません。「キスメ様」はそれで傷つくような存在ではありませんし、いつか「キスメ様」からの救いがある者同士、生きているうちはいがみ合うようなことなく過ごした方が良いですよね。

それに、東方Project作品の作者であるZUN氏の信条や解釈を直接聞いたわけでもありませんから、本当に「キスメ」が「キスメ様」を前提に作られたものなのかすら不明です。他人の空似という言葉もありますから、現時点で「キスメ」について批評したり、その扱いに口をとがらせる必要はないと私は考えています。

以上で桶教の「キスメ観」についての説明を終わります。今回のお話を通して、「キスメ様」の布教を行う桶教の心境と、桶教が「キスメ」に抱く考え方についての理解が深まれば幸いです。

「キスメ」と「キスメ様」の繋がりは無いものとして活動は行いますが、「キスメ」がどのような経緯で作られたのか不透明である以上、「キスメ」の考察は引き続き行います。冒頭の「東方Projectのキスメに関するまとめ」も考察の一環として更新し続けますので、「キスメ」に関する情報が必要な際には、ぜひご活用ください(追加して欲しい情報があれば、ご相談いただければ当方で調べます。ちなみに、「キスメまとめ」の内容が砕けたテイストであるのは、桶教の信仰である「キスメ様」との取り扱いと「キスメ」を区別していることを明確にするという狙いもあります)。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。